【MY STORY】デザイナー・伊澤良樹さん「ありのまま、という名のサステナブルライフ」(前編)

「コム デ ギャルソン」や「ウォルト・ディズニー・ジャパン」といった、誰もが知る世界的ブランド・企業で長年、デザイナーとして活躍してきた伊澤良樹さん。そんな彼が突然、華やかな東京という舞台から離れ、人口わずか7000人ほどの熊本県小国町へと移住したのは2016年のこと。一人も知り合いのいない未開拓の地で、新たに築き上げた「ありのまま」という名のサステナブルライフ。「満たされている」と穏やかな笑顔で語る彼の背から、「生」なるクリエイションを学んでいこう。


ご縁に導かれるように小国へ

——2016年の独立を機に、生まれ育った東京から熊本県阿蘇郡小国町へ移住されていますが、どういう経緯が?

それまで、「コム デ ギャルソン」や「ウォルト・ディズニー・ジャパン」のデザイナーとして、大きなプロジェクトにも携わり、充実感をもって仕事をしていたのですが、ある日、オフィスの窓から東京の夜景を眺めたときに、ふと違和感を抱いたんです。「こんなに見晴らしがいいのに、山(自然)が見えない」。自分が見たかった景色はこんな無機質なものだっけ?もしかしたら僕は、進むべき方向を間違えているのかもしれない……。今後のライフスタイルを思い描いたときに、自然に近い暮らしもありかなって。ちょうど雑誌で「美しい村」の特集を発見して、直感的にいいなと感じ、まずは移住セミナーに参加してみたんです。

——中でも、小国町を選んだ理由は?

阿蘇エリアの移住セミナーに参加したときに、僕と同世代の若い担当者が混ざっていたんです。それが小国町だった。話しやすそうだなと、移住についていろいろ相談していたら、僕の仕事に興味をもっていただき、そのまま町長にも紹介してくれました(笑)。「こっちにまだ仕事はないけど、移住支援制度もあるから、来てみない?」と誘われて、ひとまず家族で現地へ見学に行ってみたんです。そこで出迎えてくれた小国町の人たちの、初対面とは思えぬアットホームな雰囲気に心を動かされ、その場で移住を決意しました。

——デザイナーという職業柄、トレンドの発信基地である東京を離れることに不安はなかったのでしょうか?

僕は性格上、無意識のうちに「流されている」と感じたときに立ち止まって考える癖があるんです。東京にいると不必要な情報の影響を受けることも多いから、独立をきっかけに、まわりの雑音から離れてクリエイションに集中したかったんです。

流石はデザイナー、スタイルのある伊澤良樹さん。生まれた街、渋谷でお話を伺った。

思いやりで繋がる、循環型コミュニティ

——今年で移住8年目ですが、小国ならではの「サステナブルな文化」を感じる場面は?

田舎には昔から「恩送り」という共助の文化が根づいています。家庭の垣根を超え、みんながチーム感覚で支え合い、繋がりを大事に暮らしている。まあ、中にはそんな空気感に暑苦しさを覚えて町を離れる若者もいるわけですが、東京で生まれ育った僕から見るとすごく新鮮で温かい。たまに、突然、家のドアノブにほうれん草の入った袋がかかっていたりするんです(笑)。近所の人が、育てた野菜を食べてねって。そういうふうに、今ある資源を無駄にせず、コミュニティ内で循環させるというサステナブルなサイクルが、日本人の暮らしの中に自然と在ることに驚きました。

——地域コミュニティと共生しながら、順調にライフスタイルを育んでいる印象がありますが、知り合いの全くいない土地へ「開拓者」として入っていく中で、難しさを感じる場面はありましたか?

フレンドリーな人が多いとはいえ、集落によっては昔から引き継いでいる古い風習が残っていると感じます。伝統的な地域コミュニティにおける「自分の立ち位置」については未だに模索中……。どんなレベル感でその土地の文化に分け入っていくか、それを考えることは地方移住者をとってひとつの課題と言えるでしょうね。

——その他、実際に暮らしてみてわかったことは?

僕の場合、先祖代々の土地や家があったわけではないので、しばらくは賃貸の一軒家で暮らして、最近、家を建てました。それも、地元の木こりさんたちに手伝ってもらって山を開拓するところから!この地に根ざして「暮らす」となると、ゼロベースから住環境を整えていく必要があるので、それはまあ大変かな。そういう面も含めて、森の暮らしも実は出費が多いんです(苦笑)。

自然の中で「ホンモノ」を悟る。

——そうした壁を超えた、地方移住の魅力はどこにあると思いますか?

この地で暮らしていると、常に満たされているんです。都会にあふれる人工物や意図的なデザインから距離を置き、自然の中で、毎朝とれたての野菜を食べ、美味しい水を飲み……。日々のシンプルな営みを通して、ありのままの自分に戻っていくかのような、居心地の良さを味わっています。

阿蘇の風景

——ライフスタイルの変化は、デザイナーの仕事にどんな影響を?

僕は昔から「本物」という言葉の意味をずっと考えているんです。今でもその正体はわからないのですが、最近ぼんやりと輪郭が見えてきた気がします。それは、時間軸に耐えうる変わらないもの。つまり「普遍性」ではないかと……。それを求めると、やはり行き着く先には、すべての源流である「自然」があるはず。阿蘇にはずっと変わらない風景があり、その環境の中で暮らすと、自然に近い感覚でデザインができるんです。

心を動かす、感性駆動のデザイン

——まさに、長年追い求めた「秘境」に辿り着いた感じですね。そうした感性駆動のプロダクトのひとつが、フランスのシューズメーカー「パトリック」から2022年に発売された「MORINOKUTSU」だと思います。この靴が生まれた背景には、「サステナブル×地域の活性化」もテーマにあるそうですね。

「今ある地球の環境資源をマイナスにすることなく、次世代に引き継ぐこと」。これは、僕が理解するサステナブルの定義です。しかしそのバトンも、ただでさえ人口の少ない小国から、将来的に子供たちが離れることを想像すると、渡すことすら難しくなってくる。だからまずは、若者たちがこの町で仕事ができる(したい)環境を用意する必要性を感じたんです。そのためのアクションが、小国町の伝統業である木こりや林業の魅力を「MORINOKUTSU」のデザインを通じて世に発信すること。ファッションを通して、木こりという職業を知り、「かっこいい」と感じる若者が一人でも多く増えることを願って……。

【MORINOKUTSU(左)】「デザインは接着剤みたいなもの。人やもの同士をくっつけることができるんです」(伊澤さん)

——最近では、『ゴジラ』(東宝)の国内外向けのリブランディングを手がけるなど、地方を拠点にワールドワイドな活躍をされていますよね。そうした、環境に捉われない自由度の高い働き方、いわゆる「リモートワーク」をコロナ以前の2016年から先取りされていたことに驚いています。

それはよくみんなに言われます。トレンドを次々に創るような流動型プロダクトのデザイナーと異なり、僕が手がけているのは、時間軸が長い「強い」デザイン。そのためには、やはり「住む場所」が大事になってくると思います。なぜなら、日々の暮らしはアウトプットに自ずと現れるから。そこに偽物が入り込む隙はありません。僕にとってはそれが小国で、ここでしか生み出せないデザインや価値があると信じています。

——コロナ後、阿蘇と東京はどのくらいのペースで行き来していますか?

仕事の打ち合わせなどで、月一回は東京に来ています。リモート可能な案件もありますが、やはり人と人は直接会ったときの「場の空気」が大事。これはコロナ禍で痛感しましたね。

「東京と阿蘇、時間の流れる速度の違いにマルチバースを感じます(笑)」

取材・文=中山理佐

後編へ続く


クリエイティブディレクター / デザイナー 伊澤良樹さん

1978年東京都生まれ。コム デ ギャルソン、ウォルト・ディズニー・ジャパンのデザイナーを経て、2016年に拠点を阿蘇に移し東京と九州の2拠点で活動をスタート。地域や企業のブランドイメージの設計から運用に至るまでのトータルディレクションとデザインを手掛ける。主な仕事に東宝「ゴジラ」の海外国内向けブランド構築のクリエイティブディレクション、スタジオ地図10周年事業のクリエイティブディレクション、小国町森林組合のブランド戦略の企画・デザイン、阿蘇小国ジャージ牛乳パッケージデザインなど。

<INFORMATION>

阿蘇の草千里でsouvenirプロジェクトを立ち上げました。

「スーベニア(souvenir)」=「記憶を保存するためのもの」

阿蘇の記憶を保存し、持ち帰ってもらう。

おみやげの概念を考えるプロジェクトです。

ASO souvenir

※掲載画像の一部は、伊澤さんよりご提供いただきました。

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